vol.4 トオイ→しょ
寝不足二日酔いの通勤BGM



<トオイの選曲>
1. Suite bergamasque: Prelude (Debussy) / played by Paul Crossley (2004)
2. Sonata K-54 (D.Scarlatti) / played by Pierre Hantai (?)
3. Suddenly The Trees Are Giving Away / Ulrich Schnauss  『Far Away Trains Passing By』(2001)
4. 1000 Times / Tahiti80  『1000 Times』(2002)
5. Sparkle / 山下達郎  『JOY』(1989)
6. Luz / Djavan  『Luz』(1982)
7. Summer Calling / 小泉今日子  『厚木i.c.』(2003)
8. Phase Dance / Pat Metheny Group  『Travels』(1983)
9. My Tennessee Mountain Home / Maria Muldaur  『Maria Muldaur』(1973)
10. Rambling / おおはた雄一  『ふたつの朝』(2006)
11. Midnight at the Oasis / Maria Muldaur  『Maria Muldaur』(1973)

2008.6.4.
トオイダイスケ


<しょの感想>

や、これは良かった!
何がよかったって、選曲を楽しむ云々じゃなく、テーマの通り、バッチリ日頃使える一枚です。早速役立ってます。感謝。

まずクラシックで入るっつーのがいいやね。
電車乗るタイミングでは半分寝てるから、うるさくなく、優しく、ベスト。
チェンバロもそんなに寝ぼけた耳に触りませんでした。
で、ふわーんを挟んでタヒチ80でタツローなわけですが、サウンドのタイプは様々なんだけど、ぜんぜん違和感なし。自然です。しっくりきます。
これのここが良い、ではなくて、CD一枚で用途としてばっちし。
危惧された「引き返して海へ行ってしまう可能性」についても、なんつーかな、そこまでアッパーでもおセンチでもなかった。僕には。
体力回復とモチベーション維持に適切な温度だと思います。
あ、でもトオイの中ではこれはアゲアゲなのかね。やっぱ微妙にずれるよね、このへん。楽しいね。好きは好きでも理解が違いそう。

なんてことばかり言っていてもアレなので、若干個々の曲に触れます。

M-7 小泉今日子。これ抜群。これをここに入れようという発想は、自分だったら生まれないです。且つ、キョンキョンの場末感や歌ってる時に強く滲み出る自意識やギョーカイの怖さみたいなものを想起させずに聞けた。この曲のこの音が、ってのもあるし、並びの魔術もある気がする。これ、アレンジとか演奏とかってどのあたりの人?

M-9 Maria Muldaur。そうか、トオイにもカントリーの引き出しがあったか。これはですね、奇しくも次回に頂戴したお題と関連しますが、朝に聞くこの音って、ガキの頃休日起きてくるとかかってたエミルーハリスを連想したりもして、必要以上にノスタルジーと多幸感を含みます。

M-10 おおはたさん。これはもう言う事ないよね。このアルバムのレコ発で、ラスト(アンコール前ラスト、だったと思う確か)にやって、最後のリフレインを延々繰り返されて、なんかもうものすごくいろいろえぐられて、「なんでこんなことするの(泣)」となった思い出があります。(カギカッコ内は、南に一生懸命つたないピアノで自曲を弾かれた、誕生日の瀬名クンね。)
先日飲んだ際に聞いたクリーチャーズ同様、これも、ベースがいないことを忘れさせるトラックですよね。(クリーチャーズのそれとは質が違って、スカスカはしてるんだけど、違和感がない。) このへんは、おおはた節と坂田学節の「ザ・夢のクロスオーバー(笑)」パワーだと思います。両者とも違った意味でベースがなくても成立しそうな音の持ち主。と、ベーシストの沽券に関わる内容(?)を絶賛しているベース弾き二人...。

というわけで、これはフツーに愛聴盤になりそうです。ありがとう!


2008.6.26.
酒井匠


<トオイのリターン>

> や、これは良かった!
> 何がよかったって、選曲を楽しむ云々じゃなく、テーマの通り、バ
> ッチリ日頃使える一枚です。早速役立ってます。感謝。

あ、よかった。こちらこそ。

> まずクラシックで入るっつーのがいいやね。

ふだんクラシックと呼ばれるものをたいして聴いているわけじゃないけど、別の見方をすると、今の、こういう朝とかにも何の違和感や気負いもなく聴けるものを選んで聴いているのかもしれない。

> 危惧された「引き返して海へ行ってしまう可能性」についても、な
> んつーかな、そこまでアッパーでもおセンチでもなかった。僕には。
> 体力回復とモチベーション維持に適切な温度だと思います。
> あ、でもトオイの中ではこれはアゲアゲなのかね。やっぱ微妙にず
> れるよね、このへん。楽しいね。好きは好きでも理解が違いそう。

いや、ぼくの中でもすごいアッパーなわけではないけど、ぼくの場合は、メロウさみたいなものが気持ちに響くと、海に足が向いてしまうことがある。メロウさは潤いみたいなものに感じられるから、気持ちが枯れると水のあるところに行きたくなる、というか、単に海への憧れが強いということです。

> M-7 小泉今日子。これ抜群。これをここに入れようという発想は、
> 自分だったら生まれないです。且つ、キョンキョンの場末感や歌っ
> てる時に強く滲み出る自意識やギョーカイの怖さみたいなものを想
> 起させずに聞けた。この曲のこの音が、ってのもあるし、並びの魔
> 術もある気がする。これ、アレンジとか演奏とかってどのあたりの
> 人?

強力なコメントだな。。(^_^;)というか、ぼくは気持ちよさだけしか感じていなかった。たまたま、しかも夏だからこれが浮かんできたんだけど、この曲が今回の全体のコアになってる節もあるかもしれない。
この曲に関しての参加メンバーは、確か、Nathalie Wiseあたり。ベースやドラムは誰だったかな……。

> M-9 Maria Muldaur。そうか、トオイにもカントリーの引き出し
> があったか。これはですね、奇しくも次回に頂戴したお題と関連し
> ますが、朝に聞くこの音って、ガキの頃休日起きてくるとかかって
> たエミルーハリスを連想したりもして、必要以上にノスタルジーと
> 多幸感を含みます。

音楽にも記憶や想い出って強く結びつくよね。場所や匂いとまったく同じだね。
カントリーの引き出しというか、この曲自体は、M-11"Midnight at The Oasis"をAnn Sallyによるカヴァーを聴いて知ったのですが、それでもとのこのアルバムに行った、という感じです。
小さい頃の日曜の朝の記憶って、切ないね。Charles M Schulz"Peanuts"を読んでもそれを思う。
で、その切なさがその人をつくっているような気がしている。

> M-10 おおはたさん。これはもう言う事ないよね。このアルバムの
> レコ発で、ラスト(アンコール前ラスト、だったと思う確か)にやっ
> て、最後のリフレインを延々繰り返されて、なんかもうものすごく
> いろいろえぐられて、「なんでこんなことするの(泣)」となった思
> い出があります。(カギカッコ内は、南に一生懸命つたないピアノで
> 自曲を弾かれた、誕生日の瀬名クンね。)

ロンバケか……。

このリフレインは愛だと思う。

>ベーシストの沽券に関わる内容(?)を絶賛しているベース弾き二人...。

でもこの間これをかけながらベース弾いてみたらとてつもなく気持ちよかったけどね(^_^;)。
しょくんも家でこの曲でやってみたことあるだろ。ぜったい。

> というわけで、これはフツーに愛聴盤になりそうです。ありがとう!

うれしいです。どうも。

2008.6.26.
トオイダイスケ


次回 しょ→トオイのお題:「原体験的ミュージック」