vol.16 トオイ→しょ



<トオイの選曲>
1. 灰色の雲が近づいてる / 空気公団 『約束しよう』(2002)
2. 降り注げない雨 / 田中亜矢 『朝』(2003)
3. 空はふきげん / 金延幸子  『み空』(1972)
4. 雨の日の子供たちのための組曲 / 曽我部恵一ランデヴーバンド  『おはよう』(2007)
5. あめふり / まばら (2009)
6. Here's That Rainy Day / Ann Burton with Louis Van Dyke  『Ballads and Burton』(1969)
7. 雨の庭 / 高橋悠治  『映像・版画・喜びの島』(1975)
8. Tears of Rain / Charlie Haden & Pat Metheny 『Beyond the Missouri Sky』(1997)
9. Dew / GREAT3 『May & December』(2001)
10. Rainy Day / 山下達郎 『JOY』(1989)
11. 雨のステイション / 荒井由実 『COBALT HOUR』(1975)
12. 相合傘 / はっぴいえんど 『HAPPY END』(1973)
13. いつのまにか晴れ / 矢野顕子 『Piano Nightly』(1995)

このテーマには結構苦戦させられました。引き出しの少なさを痛感しました。
そして不覚にも(?)ほとんどタイトルや歌詞に「雨」のことばが入っているうたものを並べるというやり方でなんとかしてしまったみたいな感じで。
でもこうして自分の家にある曲たちの中から、「雨」ということばにまつわるものだけを探り出してみると、なおかつ個人的にちゃんと好きな曲をあげようとしてみると、何だか自分のポップスの好きな領域のオールスターというか、自分の好きな質感のかたまりみたいになってしまっておもしろかったが、いつも通りといえばいつも通りのことなので、やっぱり俺はこういうキャパを抜けきれないんだなあ、といろいろ考えさせられたりもしました。
あとは、「雨」ということをイメージしながら、ことばに耳をそばだてながら聴いたけど、どの歌も「雨」という現象をきっかけに、本当に他愛もないけど、心や感覚がふっと動いた瞬間を、さっと切り取って美しいうたにしていることに気づき、この他愛もなさをうたでうたうことのすばらしさを改めて感じたりもしました。
あと「雨」をうたう人たちは、「風」のこともいっぱいうたっている気がする。
とにかく、もっと音楽を聴かなきゃ、と反省した回になりましたです。

2008.5.29.
トオイダイスケ


<しょの感想>

えーと、ウェッティでした(笑)。

今回はほんとに、全曲質感が近い!
ここで言う質感というのは、字義どおりの質感で(テクスチュアと言い換えてもいいかもしれません)、トオイの使う質感という単語と、多少ニュアンスが異なる部分があるかもしれません。
どれも、「液状」とも「びしょびしょ」とも違う、「しっとり」とも若干違う、「しめっている」乃至「しけっている」手触りそのものを感じました。(悪い意味ではないですよ。)
正直まだ1回聞いただけで、1回で歌詞がすっと入ってくる感じではなかったもので、また、純粋に「サウンド」ということだけで言えば、これらの曲たちにそこまで共通した要素もないように思うので、この手触りをどこから感じ取ったのかと言われれば、「おんがくの醸す空気」としか言いようがないのですが...
(これを質感と読んでもいいんだけど、話がややこしくなるな...)
6〜8もこの中にあって全く違和感がなかったです。
だので、これは、純粋にトオイの好みがそうというだけでも、ある特定の世代・界隈とそれに影響を受けた世代・界隈の楽曲が並んでいるからというだけでもなく、やっぱり一貫して「雨の質感」なんだと思います。
まあ、ひるがえって、「トオイダイスケの好む音楽、及びトオイダイスケの音楽というのが、全体的に雨っぽい」という考え方もできますけれども。
おんがくを、雨の音楽、曇りの音楽、晴れの音楽、嵐の音楽 etc.という風に分類してゆくと、どういうものがどれに当たるのか、というのは、考えてみたら面白いかもね。

で、その上で、我ながらすごく語彙が貧困で不適格な表現だと思うけど、雨だからといって、後ろ向きだったり、どんよりしているとは限らなくて、ポジティブなものだってたくさんあるわけですが、ポジティブであっても、「ささやかな物悲しさ乃至おセンチさ」「水色と灰色の中間・混在」の要素を持っているということが、雨の『本意』なんだということを、実感するラインナップでもありました。

これからの季節に愛聴する一枚になったらと思いこのテーマを選んだわけですが、そして、ばっちりテーマに対応したセレクトをもらったと思ってますが、これを聴いてると梅雨気分が良くない方にも増しそうな気もして、悩んでいます。ううむ。

いつになく一文が長い。


2008.6.2.
酒井匠


<トオイのリターン>

おつかれさまです。

> まあ、ひるがえって、「トオイダイスケの好む音楽、及びトオイダイスケの音楽というのが、全体的に雨っぽい」という考え方もできますけれども。

> ポジティブであっても、「ささやかな物悲しさ乃至おセンチさ」「水色と灰色の中間・混在」の要素を持っているということ

『雨』かどうかはまず関係なく、この二点については、ぼくが音楽を聴いたり味わったりするときに求めているもののなかで、かなり大きな割合を占めています。
では、『晴れ』とか『祭り』とかになったときにはこの二点を感じさせない曲たちを自分は選ぶことになるのか?もちろん明るい、からっと乾いた曲も選ぶだろうけど、この二点の気配はそれらのなかにも絶対に残っている気がする。快晴ではなく雲が浮かんだ青空。甘い露のにおいがする空気。
ああ、入れればよかった、と今になって思うのは、boards of canadaとか。スコットランドのエレクトロニカ。雨というか曇りというか、限りなく雨の気配。あくまで気配だけど。雨の気配を常に求めているから、ぼくがライブをやろうとするときにはいつも雨に降られるのかもしれません。

いろいろな人がつくっても、いろいろな人が聴いても、『雨』という言葉や気配やイメージから立ち上がる音は何か近い質感をもつのかもしれない。質感というか、世界観やまなざしみたいなものかな。でも、このCD交換日記はずっとそうだけど、音楽は聴く人によってつくられるというか、音楽を媒介にして世界を編み上げる、という聴き方があることを、こういったテーマからは実感する。音それ自体を聴いて楽しんだり身体を動かしたりというのとはまた別の聴き方。でもぼくはこの聴き方は好きなんだけど。

ぼくとしては愛聴というか、家にいてぼうっとしているときに、ただ後ろで小さめの音で流れていたらいいな、と思う一枚です。そしてぼくはそういうときに手にとってもらえるような音楽をつくりたいとも思う。


2008.6.4.
トオイダイスケ



次回 しょ→トオイのお題:「ギター」