vol.11 しょ→トオイ なよなよ男ヴォーカルの美学 <しょの選曲> 1. 夜中の数学 / ペトロールズ 『MUSIC FOUND BY HDR-HC3』(2008) 2. 彼女のシニヨン / TRICERATOPS 『TRICERATOPS』(1997) 3. 伊勢 / 案外 (2008) 4. 赤とんぼ / 高田漣  『にほんのうた 第一集 / V.A.』(2007) 5. Since I Don't Have You / Art Garfunkel 『Fate For Breakfast』(1979) 6. 空いろのくれよん / はっぴいえんど  『はっぴいえんどLIVE ON STAGE』(1989 (1970-71)) 7. Sentimental Guy / Ben Folds  『Songs For Silverman』(2005) 8. 1分の1の地図 / HARCO  『シンクロの世界』(2000) 9. 君がぼくの家に来る / cocorotron (2008) 10. 言えずのI Love You / KAN 『GIRL TO LOVE』(1988) 11. Jealousy / James Iha  『Let It Come Down』(1998) 12. タイムリミット / ミト (2000) 13. 街 / 田中啓介  (2003) 14. Piano / LaB LIFe  『Planet Headphone』(1998) 2008.12.01. 酒井匠 |
<トオイの感想> 最近はCDを渡されて、選曲リストを見ながら話をする時点でずいぶん話が核心まで進むことが多くて、いつもその様子をまるまるテープ起こししたい衝動に駆られるのですが、そして今回もテーマに関係した話がずいぶんふくらんだ感があったのですが、もともとこのテーマを思いつくきっかけとなった発言をしたある人に聞くと、その人には「単にうたい方がなよなよしているのを最近聴きたい気分なだけだ」と言われてしまい、我々のあいだで 「有史以来、なよなよしていない男ヴォーカルだったのはDizzy Gillespieだけだった」 などという謎の結論が真面目に出されているのは、まあ、いつもながらお笑いですね。 でも、うたい方というのは技術面の話と言うか、まあ、そのシンガーにとっての世界観の提示の方法であるわけだろうけど、身体性の表れでもあって、というかとにかく、なんでなよなよしたうたい方というものが生まれるのか、というのはすごく不思議なことだ。 まして楽器を演奏する人がうたをうたう場合というのがあって、例えば13.は、ぼくが知っている限りのふだんの音楽性とはけっこう違っている印象が一聴した限りではあって、とても印象的です。 だから、極論としては、音楽をやろうとか表現をしようという人は、根底にみんな世界に対する攻撃性やなよなよ性みたいなものの発動があって、そこからスタートしている、ということはたぶんあると思った。 ただ、手法として楽器の弾き方なりうたい方がなよなよするかしないかの差はあって、どうしてなよなよするのかは謎です。いや、どうしてなよなよという手法を選んだのかが謎です。うたにおいてなよなよという手法を自覚的にとっている人たち自身にその理由や考え方を聞いてみたいなと思いました。 方法を自覚的に選び取るというのは大事なことだ、と最近痛感しています。 ちなみに、今回のセレクトで、いろいろ考えてぼくが「なよなよしている」と最終的に感じたのは、2.だけでした……。 あと、ラインナップを上から下まで眺めてみると、しょくんが危惧したとおり、十分すぎるほどJ-WAVEっぽいと思う。やっぱり。。 *しかしいちばんリピートして聴いているのも2.だったりします。 *あと11.はとても好きです。今度アルバム聴かせてください。 2008.12.09. トオイダイスケ |
<しょのリターン> ども。 たしかに、先日の会話は、録音して起こしてアップすべきだったと思います。 だって、第一これじゃ読んでる人は気になってしょうがないでしょう! なぜディジー?なにが?と。 というわけで、簡単に内容を紹介します。 ・だいたい全てのものは、なよなよしている ・マニッシュ/マスキュラなものがなよなよしていないかと言うと、そうではない ・少なくともソングライターであるか否かとなよなよは無関係だ ・なよなよしていても、「オシャレ」とか「不穏」とか「ハッピー」とかのその他要素が明快な人は、なよなよのカテゴリに入れられにくい (が、やっぱりなよなよしている) ・ちんちん性が極端に高いか皆無だと、なよなよしていないのではないか ・音楽=自己表現というものが、すでになよなよしている! ・なよなよを突き詰めるとある種の逆説的な結論にたどり着く (米良美一、フレディ・マーキュリはなよなよしていないと言える) 気もするが、これでは誰にもわかってもらえない(笑) ・表層的な意味でも、メンタリティ的にも、表現のスタイル的にも、その他いろいろなコンテクストから見て「誰が見てもなよなよしている」ものは、逆に少ない ・有史以来〜 (略) や、非常に有意義だったと思います。 いいんです、いつもながらお笑いでも。 笑ってくれれば本望です。 で。 やっぱり「なよなよとは何か」はすごく難しいのだけれども、身体性の表れというのは、なかなか言い得て妙かもしれないね。 > 13.は、ぼくが知っている限りのふだんの音楽性とはけっこう違っている印象が一聴した限りではあって これは、彼のソングライティングをよく知っている人にとっては、そこまで違う印象はないんだと思うな。 とはいってもやはり分裂気味ではあるけれども。(とかいうと本気で怒られたり悲しまれたりしそう...。ごめん。) > うたにおいてなよなよという手法を自覚的にとっている人たち自身にその理由や考え方を聞いてみたいなと思いました。 どれだけの人が自覚的になよなよしているか、というのも、また大きなテーマな気がするぞ。 > あと、ラインナップを上から下まで眺めてみると、しょくんが危惧したとおり、十分すぎるほどJ-WAVEっぽいと思う。やっぱり。。 もっとJ-WAVEっぽかったんだよ元々は。 結論:なよなよとは、J-WAVEだ! みたいなことでいいのかな。よくねえよな。 年末 (年始になるかな?) のvol.12は、ぜひ対談テープ起こしでやりましょう。スペシャル。 2008.12.10. 酒井匠 |
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