vol.10 トオイ→しょ
しょ君に曽我部恵一を紹介します



<トオイの選曲>
1. 若者たち / サニーデイサービス 『若者たち』(1995)
2. あじさい / サニーデイサービス 『東京』(1996)
3. 恋人の部屋 / サニーデイサービス  『Best Flower』(2001)
4. 恋はいつも / サニーデイサービス  『MUGEN』(1999)
5. (タイトル無し) / 島津田四郎 『島津田四郎』(2006)
6. 海岸行き / サニーデイサービス  『愛と笑いの夜』(1997)
7. Pink Moon / Nich Drake  『Pink Moon』(1972)
8. She's A Rider / 曽我部恵一  『瞬間と永遠』(2003)
9. 旅の手帳 / サニーデイサービス 『Sunny Day Survise』(1997)
10. カーニバルの灯 / サニーデイサービス 『24時』(1998)
11. People Get Ready / Curtis Mayfield 『Curtis Live!』(1974)
12. Somebody's Watching You / サニーデイサービス 『Future Kiss』(2000)
13. ギター / 曽我部恵一 『ギター』(2001)
14. シモーヌ / 曽我部恵一 『Strawberry』(2004)
15. 青春狂走曲 / 曽我部恵一 『東京コンサート』(2006)

おまたせしました。
結局トオイダイスケ的サニーデイ/曽我部恵一ベストみたいになってしまいましたが、ベストというには内容が偏りすぎているのでよしとしましょう。
内容をかいつまんで説明すると「トオイが好きなサニーデイの曲をできるかぎりのアルバムから1曲ずつ (未聴、それほど好きではないものは含まず) / 好きな曽我部恵一ソロの曲をできるかぎりのアルバム、シングルから1曲ずつ (未聴、それほど (以下略)) / サニーデイもしくは曽我部恵一を追う中で知った、サニーデイもしくは曽我部恵一をトオイが聴く際に大きな親近感を覚える他の人の曲をいくつか」というセレクトです。
そう、私はNick DrakeとCurtis Mayfieldを、曽我部さんのコメントだか本だか、もしくはそのあたりで知ったというか、それで聴いてみようと思ったのです。音楽が音楽を呼ぶ。私はそこに連れていかれたわけです。
どう曽我部さんを紹介しているのか、よく分からない感じになってしまっていますが、よけいなことを承知でこれだけ言うことにするのですが、曽我部さんの音楽は、というか、実はぼくは音楽を聴いたり弾いたりするのは、さびしいから、さびしさを感じたときに、ぼくは曽我部さんの音楽を、というか、実は音楽を聴いたり弾いたりするのかもしれません。
音楽とはぼくにとっては匂いであり温度であり肌触りであり息遣いなのだと改めて実感しました。Yeah!!

2008.11.21.
トオイダイスケ


<しょの感想>

聴かず嫌いというわけではないですが、サニーデイ/曽我部さんは、ずっときちんと向かい合うことなく放置してきていました。
もちろんこういう環境 (どういう、だ) にいれば触れる機会はままあったのですが、「聴き込むと染みそうなんだけど、ぱっと聴いてスッと入る感じではないし、聴き込むのはたいへんそうだ」という状態のまま、現在に至っておりました。

これは、くるりに関しても長いことそうでした。
どちらも「ぱっと聞きのサウンド/メロディがキャッチーでない上で、奥が深そう感は充満してる」「その世界の内側に取り込まれて共感するようにならないとダメなタイプ」と言える気がします。
「信奉するか、スルー(or拒絶)するか」の二択で、なんとなく好き、という接し方をしにくい――カリスマとはそういうものなのでしょうか。
ちなみに、同様の位置にいるっぽいナンバガ/向井秀徳さんには、実は未だ感じ入れていません。

で、今回こうして正対する機会を作ってもらい、60分15曲を3?4ローテしたわけですが、面白いくらい、聴くたびに違った感じ方になっています。良い方に。
具体的には、3、6、9、12あたりが刺さりました。(あと、5!)
合っているかわかりませんが、曽我部さんという人もやはり照れ屋だと思うのですが、照れ屋の美学にもいろいろあって、曽我部さんの場合は、「照れていることを音楽に置いては出すのがかっこわるいと思っている」ように感じました。(これは、「かっこつけるのがかっこいいと思っている」とは全く別物です。)

で、そのスタンスと言葉の世界観の魅力がじわじわときたものの、自分の感じ方とか出し方とは違うなあというのも、すごく感じます。 好悪ない、ただの「違い」ですが。
「地方都市より少し田舎めなところ出っぽいエネルギー + 小田急線ぽさ or 世田谷区っぽさ + にもかかわらずフランス文学臭(笑)」みたいな感じ (悪意はないですよ!!) が、ガキの頃から東京の「粋のない下町 (by 絲山秋子)」で育った僕には、なんともいえない恥ずかしさがあったりします。なぜシモーヌなんだ、みたいな。
東京出身ではないよなーというのは、音楽だけですごく感じる。(調べたら香川。) むき出しの音楽であればあるほど、バックグラウンドの違いは共感の度合いに大きく影響するなあ。
それと関係あるかないかわかんないけど、3の詞はすごく好き。

あ、小田急線ぽいとか言ったけど、サニーデイが僕の小田急線イメージを形成する一因にもなっている気がするので、トートロジーなんですけれども。


時系列に並べると、後期というか、今に近くなるほどシリアスさが増していて、でも反比例するように、言葉の選びかたは軽くというかコミカルというか、熟れて気楽な方向になっていて。
だから、直裁的なものではないどこかで、よりマジさが増しているように思いました。
13を転記に、8、14とかは、無情というものを達観しちゃった「悟り」みたいな印象を受けました。
すごく一貫しているんだけど、マクラフリンがシャクティまで行っちゃったような、あるいはノーナリーブスが完全に4つ打ち化しちゃったような。
(追伸:と、ここまで昨日下書きしてたんだけど、今日また聴きながら「あれーでもやっぱりずっと変わらないような...」という気がしてきています。)

長く、且つ、どういう立ち位置の文章/感想なんだかわかんなくなってしまいましたが、匂いであり温度であり、肌触りであり息遣いである、なんの異論もねーぜ。Peace。Yeah!!


2008.11.28.
酒井匠


<トオイのリターン>

おつかれさまでした。
完璧な感想、というか、紹介したい要素がしっかり伝わった感があって満足です(^_^)。

香川県坂出市だっけ。海沿いの小都市。うどん。崇徳上皇配流の地。完璧だよね(何が?)。
違う要素もいっぱいあるけど、ぼくはやっぱり憧れたり共感したりする要素が多いです。

やっぱりずっと変わらないような、というのがまさにそうかも、と思う。


2008.11.30.
トオイダイスケ



次回 しょ→トオイのお題:「なよなよ男ヴォーカルの美学」